文化財保存全国協議会

文化遺産を守る日本唯一の全国的な市民団体

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和島誠一賞の紹介

和島誠一賞制定の趣旨

今日、経済を最優先とする開発が地球規模で行われ、それによって各地で環境保全が大きな課題になっています。この環境保全と深い関わりをもっている文化財保護、活用および普及活動は、これから歴史環境を保存し、継承するうえで、一層重要なものになると思われます。
 20世紀後半に行われてきた歴史的環境を保存する文化財保存運動の先駆けをなし、また大きな足跡を残した先人の一人として、和島誠一氏があげられます。和島氏は考古学に科学的精神を啓発された方として著名な方ですが、神奈川県三殿台遺跡などの遺跡保存を積極的に進められたことをはじめ、文化財保護思想の普及を広く提起し、また積極的に実践を行ったことが高く評価されています。
 文化財保存全国協議会では、このたび和島氏が遺された文化財保護思想の遺産に深く学びながら、21世紀に文化財保護、活用および普及がさらに飛躍的に発展するという期待を込めて、「和島誠一賞」を制定し、広く地球的規模で文化財保護、活用および普及の発展をはかることにいたします。

 

和島誠一賞 表彰者・団体の紹介

和島誠一賞には、個人の部と団体の部があり、毎年個人1名、団体1団体が表彰されます。

 

  個人賞 団体賞
第1回(2000年) 直木孝次郎 氏 大分県文化財保存協議会
第2回(2001年) 佐古和枝 氏 田和山を見る女性たちの会
田和山文化財訴訟弁護団
第3回(2002年) 佐原 真 氏 皇子山を守る会
第4回(2003年) 門脇禎二 氏 奈良世界遺産市民ネットワーク
第5回(2004年) 吉田 晶 氏 文化財フォーラム愛媛
文化財保存新潟県協議会
第6回(2005年) 甘粕 健 氏 乙訓の文化遺産を守る会
山科本願寺寺内町を考える市民の会
第7回(2006年) 永井路子 氏 国史跡八王子城とオオタカを守る会
第8回(2007年) 峰岸純夫 氏
宮川 徏 氏
松代大本営の保存をすすめる会
第9回(2008年) 小泉 功 氏
戸沢充則 氏
吹田操車場遺跡・明和池遺跡の保存と活用を考える市民の会
第10回(2009年) 今井 堯 氏 緑と教育と文化財を守る会
安房文化遺産フォーラム
第11回(2010年) 石部正志 氏
浜田博生 氏
団体の部該当なし
第12回(2011年) 椎名慎太郎 氏 NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク
第13回(2012年) 田中義昭 氏
毛利和雄 氏
難波宮址を守る会
第14回(2013年) 江永次男 氏 高速道路から世界遺産・平城京を守る会
第15回(2014年) 大竹幸恵 氏 ふくしま歴史資料保存ネットワーク
第16回(2015年) 近藤英夫 氏 陸平をヨイショする会
第17回(2016年) 宍倉昭一郎 氏 鞆の浦の世界遺産登録を実現する生活・歴史・景観保全訴訟団
第18回(2017年) 小井修一 氏
藤並行三 氏
鷲城・祇園城の保存を考える会
第19回(2018年) 都出比呂志 氏 高尾山古墳を守る会
第20回(2019年) 小玉道明 氏
鈴木重治 氏
国分寺・名水と歴史的景観を守る会
第21回(2020年) 松島 隆裕・
  町子 氏
寝屋川の歴史と文化を考える会
第22回(2021年) 木村英明 氏
中尾芳治 氏
東毛考古学サークルはにわの会(略称:はにわの会)

和島誠一賞の紹介

第22回和島誠一賞

  本会では、文化財保存運動の先駆者であった故和島誠一氏の科学的精神とその思想に深く学び、21世紀における文化財の保護、活用および普及活動の飛躍的な発展を期待して、2000年に「和島誠一賞」を制定し、広く全国で文化財の保護、活用、普及などに関連して顕著な活動をおこなった個人・団体を表彰している。
 2021年3月27日に開催した選考委員会で、下記の選考委員と協力委員からの候補者推薦をもとに慎重に審議した結果、個人部門は木村英明氏(北海道)と中尾芳治氏(京都府)両名を、団体部門は「東毛考古学サークルはにわの会」(群馬県)を第22回和島誠一賞の表彰者・団体とすることに決定した。
 【選考委員】小笠原好彦(選考委員長)、橋本博文、勅使河原彰、杉田義、大竹憲昭、
       日暮晃一、和島明、神戸輝夫、澤田秀実、松田度、
 【選考協力会員】今岡稔、大平聡、川岡勉、木村英祐、小宮みち江、高瀬克範、
       七原惠史、萩原三雄、松島町子、用松律夫

受賞者の紹介

個人部門
 木村英明氏(きむら ひであき)氏   北海道在住

 木村英明氏は、北海道やシベリアの先史考古学の研究を進めながら、北海道の遠軽町白滝遺跡群(旧石器)、恵庭市カリンバ遺跡(縄文)、開拓使札幌本庁舎跡(近代)といった北海道の歴史を理解するうえで欠くことのできない各時代の重要な遺跡の保存と活用に尽力している。その一つの白滝遺跡では遺跡のみでなく、地質遺産と黒曜石原産地をも保存することを目的とするジオパークの認定に中心的な役割をはたしている。
 木村氏は、白滝遺跡やカリンバ遺跡の発掘を行い、その報告書をもれなく刊行し、遺跡の優れた内容と学術的な価値を明らかにし、さらに保存の処置を講じている。そして、必要な場合は、整備、活用までかかわっており、研究者はどれだけ一つの遺跡に責任をもって関与すべきか、それを後進に行動をもってよく示している研究者である。
 北海道では、国・道指定史跡ですら、遺跡に関わる情報が少なく、研究上で活用することが難しいものも少なくないといわれている。木村氏が関与した上記の遺跡は、現在は国史跡になっており、遺跡が残るとともに、その詳細な発掘調査の情報も利用できるようにしていることは、北海道の考古学にとって計り知れない財産になっている。また、これまで木村氏の研究と遺跡保存への薫陶を受けた多くの学生たちは、現在、北海道の各地で文化財保存に大きく貢献してきている。
 なお、木村氏の文化財保存への活動の原点は、高校生のとき、北海道文化財保護協会の設立運動に参加し、1961年には、知事・教育長らと座談会に参加したことがある。また東京での学生時代に、千葉県加曾利貝塚の保存運動、平城宮跡の保存運動にも関与した経験をもち、それらを踏まえて北海道で遺跡の研究と保存をはかる中心的な役割をはたしてこられたことは、高く評価される。

経歴 1943年生まれ。
   1967年札幌大学に着任、2008年の退職まで同大学教養部・文化学部教授等を歴任。
   学外では、北海道文化財調査委員、札幌市文化財保護審議会委員、
   北海道考古学会委員長などを務めた。
著書 木村英明『シベリアの旧石器文化』北海道大学図書刊行会 1997年
   木村英明『北の黒曜石の道 白滝遺跡群』新泉社 2005年
   上屋眞一・木村英明『国指定史跡 カリンバ遺跡と柏木B遺跡』同成社 2016年

個人部門
 中尾芳治氏(なかお よしはる)氏   京都府在住

 1954年から大阪市法円坂で発掘が開始した難波宮跡は、前期難波宮と聖武朝の後期難波宮の遺構が見つかっている都城遺跡である。この難波宮跡の発掘で見つかった宮殿に関連する遺構は、つねに保存問題がともない、初期の発掘では、山根徳太郎氏・直木孝次郎氏らの努力で遺構の保存の方向が決まることになった宮殿遺跡である。
 中尾芳治氏は、京都大学を卒業後、難波宮跡の発掘にかかわり、1962 年以降、難波宮跡の発掘の中心者として研究を進め、前期難波宮の遺構が7世紀半ばの孝徳朝の難波長柄豊碕宮まで遡るとする研究を前進させ、また遺構の保存と史跡整備も進展させている。
 1990年からは、帝塚山学院大学の大学人として外に転出したが、なお引き続き難波宮跡の発掘の指導、研究、保存、さらに史跡整備に協力し続け、難波宮跡は大都市での古代都城跡として、史跡公園として高く評価されるに至っている。また、「難波宮址を守る会」の創設以来の会員として現在も活動を続けている。
 中尾氏は一方で、難波宮跡での研究と保存の体験を踏まえながら、1991年から、上智大学アンコール・ワット遺跡国際調査団の一員として、カンボジアのアンコール遺跡の発掘と保存・修復にかかわっている。中尾氏が、この遺跡の発掘・保存にかかわったことから、関西からも多くの人たちが、アンコール遺跡を訪れるようになり、この遺跡の保存とカンボジアの復興に寄与している。そして、中尾氏によるアンコール遺跡への永年の貢献に対し、2007年10月、カンボジア王国友好勲章を授与されている。
 このように中尾氏は、長期にわたって難波宮跡の発掘・研究と保存にかかわり、さらに難波宮跡での発掘・保存を踏まえ、カンボジアのアンコール遺跡に対する発掘・保存へ国際的にも寄与しており、高く評価される。また、地元の長岡京市の「恵解山古墳」や大山崎町の「山崎瓦窯跡」の保存整備にも、保存整備委員会の委員長として貢献している。

経歴 1936年生まれ。1960年から難波宮跡の発掘調査員。
   以来1990年まで難波宮跡の発掘調査と研究、保存整備事業に従事する。
   1990年から2004年まで帝塚山学院大学文学部教授。
   大阪市文化財保護審議会委員などを務めた。
著書 中尾芳治『難波京』ニュー・サイエンス社 1986年
   中尾芳治『難波宮の研究』吉川弘文館 1995年
   中尾芳治編『アンコール遺跡の考古学』連合出版 2000年
   中尾芳治編『難波宮と古代都城』同成社 2020年

団体部門
 東毛考古学サークルはにわの会(略称:はにわの会)   群馬県
   代表:小保方紀久  事務局長:石塚久則

 同会は、1964年日本考古学協会の生産技術特別委員会窯業部会の下、群馬県太田市を研究対象地域として明治大学や駒澤大学が長期間活動を続けたことに影響を受け、地元高校生の郷土部の連合体が活動を始めたことが基礎となっている。地域の遺跡を守ることを活動の前提としたアマチュアの考古学勉強会として、1967年に結成・発足した。現在、会員10名で活動している。
 文化財保存全国協議会結成時から、その活動に参加し、文全協の当地の見学会の案内・講師を積極的に引き受けてきた。
 地元、新田氏の居城、金山城の歴史と文化、および自然を保護する「金山の自然と文化財を守る会」のシンポジウムを主催する等、文化財保存運動に取り組んできた。その一環として焼山遺跡の総合調査記録『焼山遺跡総合調査報告』は、地道な分布調査、フィールドワークに基礎をおいてまとめられたものである。
 そのかたわら、54年の長きにわたり会誌『太古』の刊行を始め地道な学習活動を継続してきた。『太古』の最新号は2021年春季号で49号となった。
 活動初期には、「上野国国分寺遺跡を守る会」の遺跡保存運動に全面協力し、参加した。群馬県営ぐんまこどもの国造成地内における群集墳、古代製鉄遺跡などの保存運動では、シンポジウム『環境を守る「ぐんまこどもの国」を考える』を主催した。
 特に、群馬県企業局職員による伊勢崎東流通団地遺跡における三原田遺跡出土遺物大量投棄事件を日本考古学協会にて告発したことは、増え続ける遺物の保管問題を全国的な視点で考える契機となったという点で高く評価される。
 北関東における古墳時代前期土師器の石田川式の標識遺跡保存運動では、「石田川遺跡を考えるシンポジウム」を主催した。また、北関東自動車道太田強戸パーキングエリア建設地内に発見された古墳時代前期方墳の保存運動では、シンポジウム「成塚向山1号墳を保存しよう」を主催し、現地見学会も開催した。さらに、会員が古墳時代前期豪族居館遺跡の新田東部工業団地遺跡(中溝深町遺跡)の保存運動にも関与し、その結果、遺跡は中心部を通る道が付け替えられるなどして保存され、県指定史跡として整備・活用されている。
 古墳時代前期の前方後円墳、朝子塚古墳の上を高圧線が通ることになると、公開講座「今、送電線を考える・朝子塚古墳を横切る」を主催し、その景観保存を求める運動をも展開した。
 最近では、地元の考古系歴史資料館、太田市立藪塚本町歴史民俗資料館の存続を求めて、市当局に要望書を提出するなど精力的に活動中である。
 以上、同会は、①地域における長期の文化財保護運動、②遺物投棄事件の告発という全国的な問題点の提起、③現在にわたる継続的な活動が評価された。

 刊行物 『焼山遺跡総合調査報告』(1968年)
 機関誌 『太古』(最新号、2021年春季号、通号49号)

2021年06月26日

第21回和島誠一賞

 本会では、文化財保存運動の先駆者であった故和島誠一氏の科学的精神とその思想に深く学び、21世紀における文化財の保護、活用および普及活動の飛躍的な発展を期待して、2000年に「和島誠一賞」を制定し、広く全国で文化財の保護、活用、普及などに関連して顕著な活動をおこなった個人・団体を表彰している。
 2020年3月28日に開催した選考委員会で、下記の選考委員と協力委員からの候補者推薦をもとに慎重に審議した結果、個人部門は松島隆裕・町子ご夫妻(栃木県)、団体部門は「寝屋川の歴史と文化を考える会」(東京都)を第21回和島誠一賞の表彰者・団体とすることに決定した。
 【選考委員】小笠原好彦(選考委員長)、橋本博文、十菱駿武、杉田義、勅使河原彰、
       日暮晃一、和島明、神戸輝夫、澤田秀実、松田度、
 【選考協力会員】石塚久則、今岡稔、大平聡、川岡勉、木村英祐、小宮みち江、
       高瀬克範、七原惠史、萩原三雄、用松律夫


受賞者の紹介

個人部門
 松島 隆裕・町子(まつしま たかひろ・まちこ)氏   栃木県在住

 松島隆裕氏は、1989年に栃木県小山市の中世山城跡である鷲城跡の一郭に、マンション建設計画がだされたのに対し、「鷲城跡の保存を考える会」を設立し、中世史家の峰岸純夫氏らとともに鷲城跡、祇園城跡の歴史的意義を明らかにし、保存運動をおこないました。この運動では、町子氏とともに、「小山鷲城跡保存ナショナル・トラスト基金」を設立し、この運動を全国規模に幅広く展開し、1991年に鷲城跡は、祇園城跡とともに国史跡に指定されました。1994年には両城跡の未指定部分と新たに中久喜城跡が国史跡に追加指定されました。
 また、1990年、小山市の東部に小山東部工業団地が建設されることになり、その事前の発掘調査が1990年から94年にかけて実施されました。この発掘では、旧石器時代から近世までの資料が出土しましたが、とりわけ縄文時代後期から晩期にかけて、縄文人の活動による径165mの真っ赤な焼土が互層になった巨大な環状盛土遺構や小支谷の流れを利用した水場遺構が存在することが明らかになりました。
 松島夫妻は、この縄文人の祭祀場である環状盛土遺構と水場遺構に対し、鷲城跡・祇園城跡の保存の成果を得た活動を踏まえ、「寺野東遺跡の保存を考える会」を結成し、再び寺野東遺跡を保存する市民運動を展開しました。この寺野東遺跡の保存運動では、水場遺構の全面的な保存は実現しませんでしたが、環状盛土遺構は国史跡として保存されることになりました。そして、松島夫妻は、これらの取組んだ遺跡の保存運動の記録を地元出版社から刊行しながら、その後も地域に根ざした文化財保護の学習・普及活動を広く進めています。
 保存運動の現場には、いつもご夫妻の姿がありました。和島誠一賞(個人部門)の受賞は、やはりお二人いっしょがふさわしいと考えます。
経歴(松島隆裕氏)
 小山工業高等専門学校教授(現名誉教授)、鷲城・祇園城跡の保存を考える会事務局長、
 寺野東遺跡の保存を考える会事務局長
主な編著書
 『寺野東遺跡-甦れ、縄文のロマン-』寺野東遺跡の保存を考える会編 随想社1994年
 『鷲城・祇園城・中久喜城-小山の中世城郭-』
     鷲城・祇園城跡の保存を考える会編 随想社 1995年
 松島隆裕「鷲城・祇園城跡」『文化財保存70年の歴史-明日への文化遺産-』
     文化財保存全国協議会編 新泉社 2017年        など


団体部門
 寝屋川の歴史と文化を考える会   大阪府
   代表:小貫充  事務局長:高橋慶二

 「寝屋川の歴史と文化を考える会」は、北河内の地域に第二京阪道路の建設と事前調査が行われるもとで、2003年、市民が中心となって活動を始めた団体です。「私たちは、発掘された数々の遺跡を、現地で見学し、学習したいと考えます。また貴重な文化遺産が寝屋川市民の財産として、しかるべく保存され、活用されることを希望いたします」(設立『アピール』より)。このような趣旨で設立され、以来10数年間、活動を継続しています。
 第二京阪道路計画には、北河内に所在する約20カ所の遺跡、寝屋川市内では太秦古墳群、太秦遺跡、高宮遺跡、小路遺跡、讃良郡条里遺跡などの重要な遺跡が含まれていました。会は、各遺跡で行われる現地説明会に積極的に参加し、その成果を『会報』等で伝えてきました。2005年には古代史研究者の吉田晶氏と調査担当者の中尾智行氏による茨田屯倉・河内馬飼をテーマとする講演会を行い、以後も総会時に調査担当者や著名な考古学者を招いて講演会を行っています。また平城宮跡等、関西各地の遺跡を見学する学習活動も展開しています。
 調査と道路建設が進行するもとで、調査成果を研究・展示・収蔵できる博物館建設の提案を行いました。また太秦・高宮のトンネル部分における遺構の復元を行い歴史公園として整備することを地元自治連合会と共に提案しました。
 2010年、第二京阪道路は開通し、小路遺跡の遺構など数カ所が道路下に保存された他は、多くの遺跡が破壊されました。
 その中で、太秦・高宮のトンネル部分で、太秦古墳群の古墳1基、高宮遺跡の建物1棟等は小規模ながら復元整備が行われ、説明板も数カ所で設置され、遺跡が存在したことを市民に伝えることはできました。
 その後、沿線の大規模開発に対する活動や、国史跡高宮廃寺跡の望ましい史跡整備が実施されるよう要望する活動を行ってきました。また、市史跡太秦高塚古墳、国史跡高宮廃寺跡と復元整備された太秦古墳群等を併せた太秦・高宮歴史公園地区について、市民とともに学ぶ活動を行っている文化財保存団体です。

主な著作物
 『太秦・高宮の原始・古代を訪ねる』寝屋川の歴史と文化を考える会編 2015年
 寝屋川の歴史と文化を考える会『会報』第1号~第68号 2003年~2020年

2021年05月02日

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 2022年6月24日~26日

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