文化財保存全国協議会

文化遺産を守る日本唯一の全国的な市民団体

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和島誠一賞の紹介

和島誠一賞制定の趣旨

今日、経済を最優先とする開発が地球規模で行われ、それによって各地で環境保全が大きな課題になっています。この環境保全と深い関わりをもっている文化財保護、活用および普及活動は、これから歴史環境を保存し、継承するうえで、一層重要なものになると思われます。
 20世紀後半に行われてきた歴史的環境を保存する文化財保存運動の先駆けをなし、また大きな足跡を残した先人の一人として、和島誠一氏があげられます。和島氏は考古学に科学的精神を啓発された方として著名な方ですが、神奈川県三殿台遺跡などの遺跡保存を積極的に進められたことをはじめ、文化財保護思想の普及を広く提起し、また積極的に実践を行ったことが高く評価されています。
 文化財保存全国協議会では、このたび和島氏が遺された文化財保護思想の遺産に深く学びながら、21世紀に文化財保護、活用および普及がさらに飛躍的に発展するという期待を込めて、「和島誠一賞」を制定し、広く地球的規模で文化財保護、活用および普及の発展をはかることにいたします。

 

和島誠一賞 表彰者・団体の紹介

和島誠一賞には、個人の部と団体の部があり、毎年個人1名、団体1団体が表彰されます。

 

  個人賞 団体賞
第1回(2000年) 直木孝次郎 氏 大分県文化財保存協議会
第2回(2001年) 佐古和枝 氏 田和山を見る女性たちの会
田和山文化財訴訟弁護団
第3回(2002年) 佐原 真 氏 皇子山を守る会
第4回(2003年) 門脇禎二 氏 奈良世界遺産市民ネットワーク
第5回(2004年) 吉田 晶 氏 文化財フォーラム愛媛
文化財保存新潟県協議会
第6回(2005年) 甘粕 健 氏 乙訓の文化遺産を守る会
山科本願寺寺内町を考える市民の会
第7回(2006年) 永井路子 氏 国史跡八王子城とオオタカを守る会
第8回(2007年) 峰岸純夫 氏
宮川 徏 氏
松代大本営の保存をすすめる会
第9回(2008年) 小泉 功 氏
戸沢充則 氏
吹田操車場遺跡・明和池遺跡の保存と活用を考える市民の会
第10回(2009年) 今井 堯 氏 緑と教育と文化財を守る会
安房文化遺産フォーラム
第11回(2010年) 石部正志 氏
浜田博生 氏
団体の部該当なし
第12回(2011年) 椎名慎太郎 氏 NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク
第13回(2012年) 田中義昭 氏
毛利和雄 氏
難波宮址を守る会
第14回(2013年) 江永次男 氏 高速道路から世界遺産・平城京を守る会
第15回(2014年) 大竹幸恵 氏 ふくしま歴史資料保存ネットワーク
第16回(2015年) 近藤英夫 氏 陸平をヨイショする会
第17回(2016年) 宍倉昭一郎 氏 鞆の浦の世界遺産登録を実現する生活・歴史・景観保全訴訟団
第18回(2017年) 小井修一 氏
藤並行三 氏
鷲城・祇園城の保存を考える会
第19回(2018年) 都出比呂志 氏 高尾山古墳を守る会
第20回(2019年) 小玉道明 氏
鈴木重治 氏
国分寺・名水と歴史的景観を守る会
第21回(2020年) 松島隆裕・
  町子 氏
寝屋川の歴史と文化を考える会
第22回(2021年) 木村英明 氏
中尾芳治 氏
東毛考古学サークルはにわの会(略称:はにわの会)
第23回(2022年) 當眞嗣一 氏 月の輪の心を語りつぐ会
第24回(2023年) 十菱駿武 氏
出原恵三 氏
広陵古文化会
富士見市資料館友の会
第25回(2024年) 太田記代子 氏
勅使河原彰 氏
浅川地下壕の保存をすすめる会

和島誠一賞の紹介

第25回和島誠一賞

 本会では、文化財保存運動の先駆者であった故和島誠一氏の科学的精神とその思想に深く学び、21世紀における文化財の保護、活用および普及活動の飛躍的な発展を期待して、2000年に「和島誠一賞」を制定し、広く全国で文化財の保護、活用、普及などに関連して顕著な活動をおこなった個人・団体を表彰している。
 2024年3月30日に開催した選考委員会で、下記の選考委員と協力委員からの候補者推薦をもとに慎重に審議した結果、個人部門は太田記代子氏氏(佐賀県)、勅使河原彰氏(埼玉県)を、団体部門は「浅川地下壕の保存をすすめる会」(東京都)を第25回和島誠一賞の表彰者・団体とすることに決定した。
 【選考委員】小笠原好彦(選考委員長)、橋本博文、和島明、杉田義、大竹憲昭、
       菊池実、高柳俊暢、神戸輝夫、澤田秀実、松田度、
 【選考協力会員】岡山真知子、菊地真、木村英祐、後藤祥夫、高瀬克範、坪田幹男、
       松島町子、用松律夫、森田勝三、吉田広


表彰者の紹介
個人部門
 太田記代子(おおた きよこ)氏

 太田記代子さんは、1934年(昭和9)に、弥生時代の佐賀県吉野ケ里遺跡の優れた性格を『考古学雑誌』に紹介した七田忠志氏の教え子である。医学部を卒業した後は、医学の世界で活動し、佐賀県内の保健所長を歴任するなど、県民の健康管理の分野に長くかかわっている。しかし、1982年(昭和57)、佐賀県は吉野ケ里遺跡が所在する吉野ケ里丘陵に工業団地の造成が計画され、その事前の発掘調査によって、甕棺墓群や環濠集落が検出され、弥生時代の前期から中期末まで存続する大規模な環濠集落であることが判明した。そして、1989年2月、このような吉野ケ里遺跡の発掘結果が広く報道されると、佐賀の自然と文化を守る会とこれを母体とする吉野ケ里遺跡全面保存会による遺跡の保存運動をはじめ、全国規模による遺跡の保存運動が展開された。
 この吉野ケ里遺跡の保存運動に対し、太田さんは保健所長という公的な職務にありながらも、吉野ケ里遺跡の保存運動を進める団体とともに、広く多くの市民に吉野ケ里遺跡の保存を訴える活動をおこなっている。
 その結果、吉野ケ里遺跡は、1991(平成3)年5月に特別史跡となり、さらに1994年に国営公園に認定され、2001年には吉野ケ里公園として史跡整備され、一般に公開されている。
 ところが、佐賀県は、2011年(平成23)2月、特別史跡の北側一帯にメガソーラーを設置することを計画し、6月から設置工事に着手した。太田さんら吉野ケ里遺跡全面保存会は、このメガソーラーの設置案が提示された段階から、吉野ケ里遺跡の歴史的景観を著しく損なうことから、その設置に反対し、県に再考を強く求めている。しかし、県はメガソーラーをそのまま強行して設置したことから、設置したメガソーラーを早急に他所へ移設するように、多くの市民に呼びかけて取り組んでいる。
 また、一方では、太田さんらは、これまで吉野ケ里遺跡を中心に、九州の弥生遺跡を世界遺産へ登録するように、地元で講演会を開催し、また広く署名活動を進めている。このメガソーラーを他所へ移設する要求と世界遺産への登録を求める運動は、まさに太田さんが中心となって進めているものである。これらの運動は、まだ実現するには至っていないとはいえ、これらの運動の理念はいずれも正しく、また高く評価されるものである。
 居住地 佐賀市
 生年  1936年  
 著書  『佐賀の明日を希って』石風社 2015年

勅使河原彰(てしがわら あきら)氏

 勅使河原氏は、『考古学研究法-遺跡・遺構・遺物の見方から歴史叙述まで』などの著作によって、考古学研究上の理論の構築を深める論述を進めるとともに、『縄文文化』『縄文集落を掘る・尖石遺跡』など、縄文時代の遺跡を対象とする多くの著作を行いながら、縄文時代の社会の実体の解明に取り組んでいる研究者である。
 また一方では、東京都東久留米市学校建設に伴う新山(しんやま)遺跡の発掘では、縄文時代中期末の敷石住居が検出されたことから、その成果をもとに、下里中学校に、発掘された住居跡一棟を基にした資料展示室がつくられているように、その成果が教育の場で活用できるよう指導している。さらに、東京都東村山市団地建設に伴っての下宅部(しもやけべ)遺跡の発掘では、縄文後期・晩期、古墳時代、奈良時代などの遺構や遺物が検出されたことから、住宅団地にそれらの発掘成果を生かした「下宅部遺跡はっけんのもり」の歴史的な公園が造られており、その成果が地域の人たちが利用できるものとなっているなど、長年にわたって、じつに多くの遺跡の保護・保存と地域の文化財として、その活用にかかわってきている。
 また一方では、1980年代に、東京都と埼玉県にまたがる狭山丘陵へ早稲田大学が進出する計画が出された際には、この地域がもつ豊かな自然とそこに所在する遺跡、さらに歴史的環境が極力損なわれないように、戸沢充則氏、広井敏男氏らとともに、この地域の歴史的環境保存をはかる運動を組織し、その実質的には、その中心となって自然と遺跡保存の運動を広げている。その結果、この大学建設計画は所沢キャンパスを設けることになったが、この自然と遺跡を一体に維持する環境保全の取組みは、埼玉県を含む三者の協定により、環境を最大限に配慮した校舎の配置に変更され、しかも環境アセスメントに基づく運営を大学側に約束させるものとなっている。そして、勅使河原氏が取組んだこの活動は、公益財団法人トトロのふるさと基金へともつながっている。
 このように、勅使河原氏の考古学の理論研究と縄文社会の研究を踏まえながら、地域の自然と遺跡保存に対する積極的な実践は、これまで大きな成果をなしてきており、高く評価されるものである。
 居住地 埼玉県
 生年  1945年  
 著書 『縄文文化』新日本出版社 1998年
    『縄文集落を掘る・尖石遺跡』新泉社 2004年
    『考古学研究法-遺跡・遺構・遺物の見方から歴史叙述まで』新泉社 2013年など


団体部門
 浅川地下壕の保存をすすめる会(東京都八王子市)

 東京都八王子市にある浅川地下壕は、旧陸軍の地下倉庫の建設として1944年に計画されたものであったが、敗戦直前の1945年には、中島飛行機株式会社の武蔵製作所の疎開工場として大規模に拡張されたものである。これは、戦時下の多摩地域の実態を物語る戦争遺跡であり、これまで、その保存と公開が要望されてきたものである。
 この浅川地下壕の保存をすすめる会は、1997年(平成9)11月に発足した会で、この地下壕を保存するため、地元の八王子市議会議員との懇談や八王子市へ保存要望を積極的に進めている。また、その一方では、市内外の住民たちに、この地下壕の存在の周知と、その歴史的な意義の普及をはかるため、会の発足直後12月10日から会報『peaceあさかわ』の定期的な発行を開始し、現在141号に及んでいる。また、この会が発足した後、この地下壕の見学会を定期的に開催し、全国からの見学の要望に積極的に対応している。
 この浅川地下壕の保存を進めるうえで、最も大きな課題は、この広大な地下遺構が、住宅地に隣接していることである。そして、地下壕の入口には、鉄製の門扉が設けられているとはいえ、地下壕内が悪用されないように、また小動物の棲息に利用されるなどの危惧を地域住民がもたないようにしながら、この地下壕を保存し、その重要性の認識が広く周知されることが必要である。現状は、これまでの会による歴史的な重要性の理解を広めるための講座の開催、八王子市や東京都、国への公有化の要請活動によって、周辺の居住者による理解も広がってきている。さらに、八王子市に所在する国立東京工業高等専門学校の教師・学生らによる協力によって、地下壕の三次元計測も進展しており、このような会による保存と活用に対する先進的な取組みは、各地に所在する戦争遺跡に対する保存・公開にとっても、参考にすべき点が多く、高く評価されるものである。
 代表者 斉藤 勉
 著 書 会報『peace あさかわ』第1号(1997年12月)~第141号(2023年12月)
     『フィールドワーク浅川地下壕 学び・調べ・考えよう』平和文化 2005年

2024年06月30日

第24回和島誠一賞

 本会では、文化財保存運動の先駆者であった故和島誠一氏の科学的精神とその思想に深く学び、21世紀における文化財の保護、活用および普及活動の飛躍的な発展を期待して、2000年に「和島誠一賞」を制定し、広く全国で文化財の保護、活用、普及などに関連して顕著な活動をおこなった個人・団体を表彰している。
 2023年4月1日に開催した選考委員会で、下記の選考委員と協力委員からの候補者推薦をもとに慎重に審議した結果、個人部門は十菱駿武氏(東京都)、出原恵三氏(高知県)を、団体部門は「広陵古文化会」(奈良県)、「富士見市資料館友の会」(埼玉県)を第24回和島誠一賞の表彰者・団体とすることに決定した。
 【選考委員】小笠原好彦(選考委員長)、橋本博文、勅使河原彰、杉田義、大竹憲昭、
       菊池実、和島明、神戸輝夫、澤田秀実、松田度、
 【選考協力会員】今岡稔、川岡勉、木村英祐、後藤祥夫、小宮みち江、高瀬克範、
       坪田幹男、松島町子、用松律夫、森田勝三


表彰者の紹介

個人部門
 十菱駿武(じゅうびし しゅんぶ)氏

 十菱氏は、1969年に早稲田大学を卒業し、大学院に進まれると、1970年に在学中ながら、横浜市で行われていた大規模な住宅開発である横浜市港北ニュータウン建設の事前発掘に、調査団の調査員の1人としてかかわっている。その後、1973年から10年間、世田谷区立郷土博物館の学芸員を担当し、多くの市民へ文化財の普及に尽力している。この間、文化財保存全国協議会の事務局の運営に協力し、さらに1979年からは甘粕健代表委員のもと、文全協の事務局長を8年間にわたって担当し、会員1200人を超える文全協の組織運営を担っている。そして、1985年からは山梨学院大に勤務するようになり、首都圏と山梨県の遺跡の保存運動を進めるとともに、文化財保護行政や文化財の保護法に関連することに取り組み、文化財が「真に国民共有の財産」となるように運動を進めている。そして2000年からは文全協代表委員として16年間、首都圏を中心として、遺跡の保存運動と遺跡見学会を開催し、幅広く文全協の活動を推進している。
 また一方では、戦争体験者が少なくなりつつある今日、戦争の事実をとどめる「戦争遺跡」の重要性と歴史遺産として保存する意義を踏まえ、1997年の戦争遺跡保存全国ネットワーク結成に参加し、同組織の代表委員を担い、昨年まで運動を進めている。また、文全協の活動にも、戦争遺跡の保存をはかるという活動部門の幅をもたせることに寄与している。
 2012年に、十菱氏は山梨学院大を退職されたが、この間に山梨県では、山梨県文化財保護委員・山梨県考古学協会委員長・NPO法人山梨水晶会議参与・伊奈石の会顧問などを歴任されている。

 居住地  東京都
 生年   1945年
 著書  『多摩の歴史遺産を歩く』新泉社 2009年
     『しらべる戦争遺跡の事典(正)(続)』(共著)柏書房 2002・03年
     『戦争遺跡は語る』(共著)かもがわ出版 1999年 など


 出原恵三(ではら けいぞう)氏

 出原氏は、奈良大学を卒業後、高知県文化財団埋蔵文化財センターに勤務されている。高知県の田村遺跡では、高知空港の滑走路の建設にともなって1980~83年、さらに1996~2000年に滑走路拡張工事にともなって大規模に2回の発掘が実施されている。この発掘調査で、弥生時代の前期から後期に続く集落を構成する竪穴住居、環濠、水田遺構などが検出されている。この発掘調査にかかわった出原氏は、検出された田村遺跡で検出された遺構と出土した遺物から、南四国での弥生時代の展開に、これまでの理解とは異なる新たな考えを提示している。
 また、1982年11月、地元の田村遺跡を保存する会による遺跡の保存運動がおこった際には、この運動を側面から支援している。その結果として、前期の遺構は滑走路脇の緑地帯の地下に保存され、また、弥生時代の水田遺構の一部を切取って残ることになった。
 さらに2020年以降、安芸市の中学校舎建設に対する瓜尻遺跡の発掘では、7世紀後半の方形区画遺構・流路・掘立柱建物・井戸などが検出さている。これに対し、地域の人たちが瓜尻遺跡の望ましい保存をはかる運動が展開しており、かつて行政側にいた立場から、少しでもよい状態で遺構が残り、活用できるように支援している。
 さらに、出原氏は、高知県南国市にある掩体の戦争遺跡の保存を進めるとともに、戦争遺跡保存全国ネットワークの一員として、島根県出雲市の旧海軍大社基地遺跡群などの保存を強く訴え続けている。そして、2016年から戦争遺跡保存全国ネットワーク共同代表を担っている。そして、戦争遺跡が市民にとって、また行政にとって、どのように重要か、また保存をはかるべきかの理念を明示して活動していることは高く評価できる。

 居住地  高知県
 生年   1956年
 著書  『南四国から問う弥生時代像 田村遺跡』新泉社 2009年。
     『弥生時代の様式と編年 四国編』(共著)木耳社 
     『街道の日本史 土佐と南街道』(共著)吉川弘文館 
     『日本の戦争遺跡』(共著)平凡社

 


団体部門

 広陵古文化会(奈良県北葛城郡広陵町)

  広陵古文化会は、1963年(昭和38)に地元の文化財愛好者30名ほどで結成された会で、広陵町にある馬見古墳群やその周辺の文化財の見学や探訪などをおこなっていた会である。ところが、1966年ごろ、この広陵町の地域に、住宅都市整備公団による団地造成計画があるのを知り、しかも、これによって多くの古墳が破壊されることを知った。そこで、この会は、1969年に奈良県文化財保存対策連絡会(奈文連)と連絡をとり、共同して馬見古墳群の保存運動に立ち上がっている。この運動は、地元会員をはじめ地域ぐるみで取り組まれ、住民の熱意と保存運動によって、住宅地内の古墳の多くが緑地公園として残り、現在に見るような、まさに古墳を主体とする歴史的な公園となっている。
 一方、1975年(昭和50)には、河合町にあるナガレ山古墳の前方部が業者による土取り作業によって破壊されるという事態がおこった。これに対しても、この会が保存運動に立ち上がっている。この運動の結果、保存措置が取られるようになり、ナガレ山古墳は、1976年に国史跡に指定されている。そして、1980年代には、馬見丘陵の中央部一帯に県立馬見丘陵公園が作られるにいたっている。ナガレ山古墳も、一部が発掘調査され、それにもとづいて史跡整備されている。
 今日、馬見丘陵公園は、古墳を主体としながら歴史と自然が一体となった公園となっており、多くの市民が訪れる憩いの場となっている。これには、広陵古文化会による、馬見古墳群の古墳に対する保存への熱意と運動があり、また、その後も会の活動を継続し、2012年には、発足50周年記念誌として、『ふる里の文化財を訪ねて』を刊行している。そして、さらに今日まで、この会はじつに地道に地域に根差した活動を続けている。

 参考:『ふる里の文化財を訪ねて』広陵古文化会編集・発行 2012年


 富士見市資料館友の会(埼玉県富士見市)

 富士見市資料館友の会は、資料館の前身である富士見市立考古館が主催した講座の受講者有志によって、1983年(昭和58)に発足した組織で、今年は40周年を迎えている。
 現在、富士見市には水子貝塚資料館と難波田城資料館の2館があり、このうち、水子貝塚資料館は、国指定史跡の水子貝塚公園に隣接して設けられている。水子貝塚は、1938・39年(昭和13・14)と1967年(昭和42)に、遺跡保存の先覚者である和島誠一氏らによって発掘調査され、これらの成果によって1969年(昭和44)に国史跡に指定されている遺跡である。
 この考古館は、1988年(平成10)に現地に移転し、2000年(平成12)に、埼玉県指定旧跡の難波田氏館跡を整備した難波田城公園と難波田城資料館が開館し、それに合わせて水子貝塚資料館に改称している。
 資料館友の会は、現在5部会からなっている。1983年の発足当初は、「土器づくり部会」と「拓本部会」の二つの部会であった。土器づくり部会は、市内出土の縄文土器をモデルとし、粘土の採集から焼成まで本格的な製作実験を行っている。拓本部会は、採拓技術を磨きながら市内の石造物の悉皆調査を長年かけて実施し、「富士見市石造物調査記録」などを刊行している。
 その後、1988(昭和63)に「木綿部会」、1990年(平成2)には「竹かご部会」が加っている。木綿部会は、綿花の栽培、綿繰り、糸紡ぎ、染色、機織りまで一連の工程を、年間を通して実施し、竹かご部会は、市内在住の竹かご職人を講師として発足しており、職人の技術を継承しながら個性的な作品を仕上げている。
 さらに、2002年(平成14)に「ふるさと探訪部会」も発足した。この部会は、市内の文化財を独自に調査・研究し、定期的に市民を対象とした文化財巡りをおこなっており、近年は他地域へと活動範囲を広げている。このように友の会の活動は、長年にわたって富士見市の地域の歴史や文化財について学びながら、さらに伝統的な技術を次の世代に伝えていくことふくめて活動を続けている。
 こうした活動は、地域がたどった歴史や文化財を現在の市民がどのように享受し、また発展させるべきかを多くの市民や行政に示したものである。

2023年07月01日

第23回和島誠一賞

 本会では、文化財保存運動の先駆者であった故和島誠一氏の科学的精神とその思想に深く学び、21 世紀における文化財の保護、活用および普及活動の飛躍的な発展を期待して、2000 年に「和島誠一賞」を制定し、広く全国で文化財の保護、活用、普及などに関連して顕著な活動をおこなった個人・団体を表彰している。
 2022年3月26日に開催した選考委員会で、下記の選考委員と協力委員からの候補者推薦をもとに慎重に審議した結果、個人部門は當眞嗣一氏(沖縄県)を、団体部門は「月の輪の心を語りつぐ会」(岡山県)を第 23 回和島誠一賞の表彰者・団体とすることに決定した。
 【選考委員】小笠原好彦(選考委員長)、橋本博文、勅使河原彰、杉田義、大竹憲昭、
       和島明、神戸輝夫、澤田秀実、松田度、
 【選考協力会員】今岡稔、大平聡、川岡勉、木村英祐、小宮みち江、高瀬克範、
       松島町子、用松律夫


受賞者の紹介

個人部門
 當眞嗣一(とうま しいち)氏   沖縄県在住

 當眞嗣一氏は、長く沖縄県教育庁に勤務し、沖縄の文化財行政部門で中心的な役割をにない、世界遺産に首里城をはじめとする「琉球王国のグスクおよび関連遺跡群」が 2000年に登録された際に、その推進にあたる準備段階の作業部門で責任的な役割をになっている。
 また一方で、當眞氏は、琉球大学の史学科を卒業後、沖縄に分布する石垣をめぐらすグスク(城)の研究にたずさわり、その第一人者として、グスクの構造を把握する基本作業として縄張り図を作成して各地に遺存する各グスクの構造の特徴、年代による築造の変化などの解明を進め、『琉球グスク研究』(2013 年)を刊行している。
 さらに、1984 年の『南島考古学だより』30 号に掲載された「戦跡考古学のすすめ」で、第二次世界大戦下の日本で、唯一の地上戦がおこなわれた沖縄の戦争遺跡や遺留品を、戦争資料として保存し、後世に伝えるとことを提起し、当時、沖縄戦の事実を隠蔽しようとする反動的な動きを批判して、そのような動きをおさえるとともに、戦争資料を広く活用するために、「戦跡考古学」の必要性を提唱している。そして今日、各地で戦跡遺跡の調査や保存措置がおこなわれるようになってきており、戦跡考古学の発展に寄与するとともに、戦跡考古学の第一人者としても活躍している。
 このような長年にわたる沖縄での當眞氏のグスク研究と戦跡遺跡に対する歴史的評価と保存への積極的な活動は、高く評価される。

経歴 1944 年、沖縄県に生まれる。
   琉球大学法文学部史学科を卒業し、沖縄県教育庁文化課に勤務、同文化課課長、
   沖縄県立博物館館長、沖縄考古学会会長などを歴任する。
   現在、グスク研究所を主宰。
著書 當眞嗣一『琉球王国の象徴 首里城』新泉社 2020 年
   當眞嗣一『沖縄近・現代の考古学』琉球書房 2015 年
   當眞嗣一『琉球グスク研究』琉球書房 2013
   當眞嗣一『沖縄の城ものがたり』共著、 むぎ社 2013 年


団体部門
 月の輪の心を語りつぐ会   岡山県
      代表:角南勝弘

 岡山県の月の輪古墳は、1953 年 8 月 15 日、正しい歴史を自らの体験によって学ぶという戦後に展開した国民的歴史学運動のもとに発掘された古墳である。この月の輪古墳の発掘は、近藤義郎氏を中心とする考古学研究者、教師、学生たちと飯岡地域の地元の人たちが全面的に協力し、延べ一万人の人たちが参加して進めたものであった。
 この月の輪古墳は 5 世紀前半の大型円墳で、鏡、玉類、武器など多くのものが副葬され、墳丘上には家形埴輪・短甲などの形象埴輪も配されていたことが解明され、知識人と民衆が一体となり、共同で歴史を解明するという国民的な歴史科学運動の代表例の一つとして高く評価された運動であった。
 「月の輪の心を語りつぐ会」は、1997 年に発足したもので、月の輪古墳の発掘時におこなわれた精神を継承するもので、村民有志、美備郷土文化の会、月の輪刊行会、月の輪合唱団などを母体としている。この会の主な活動は、毎年 4 月 29 日、月の輪古墳へ登り、古墳を学ぶという学習を行事としておこない、月の輪音頭を唄い踊る「月の輪祭り」(発掘開始の 8 月 15 日に続けている)を引き継いでおり、毎回、月の輪収蔵庫において関係資料や映画を観賞し、発掘した往時を偲ぶとともに、月の輪古墳のもつ現代的意義を考え、また活動している。そして月の輪古墳をたずね、古墳上で国民的歴史学運動への想いを新たにし、参加者による相互の連帯と新たな歴史的意義を再生産する活動をおこなっている。
 また、発掘後に設けられた月の輪収蔵庫の運営に参画し、出土品を管理するとともに、見学者の案内などもおこなっており、月の輪古墳の歴史の継承と古墳の保存、環境整備にも尽力している。
 このように、会の活動主旨とその実践団体として高く評価される。

「月の輪の心」を伝える主な刊行物
   月の輪古墳刊行会『月の輪教室』 1954 年
   近藤義郎・中村常定『地域考古学の原点 月の輪古墳』新泉社 2008年

2022年07月02日

第22回和島誠一賞

  本会では、文化財保存運動の先駆者であった故和島誠一氏の科学的精神とその思想に深く学び、21世紀における文化財の保護、活用および普及活動の飛躍的な発展を期待して、2000年に「和島誠一賞」を制定し、広く全国で文化財の保護、活用、普及などに関連して顕著な活動をおこなった個人・団体を表彰している。
 2021年3月27日に開催した選考委員会で、下記の選考委員と協力委員からの候補者推薦をもとに慎重に審議した結果、個人部門は木村英明氏(北海道)と中尾芳治氏(京都府)両名を、団体部門は「東毛考古学サークルはにわの会」(群馬県)を第22回和島誠一賞の表彰者・団体とすることに決定した。
 【選考委員】小笠原好彦(選考委員長)、橋本博文、勅使河原彰、杉田義、大竹憲昭、
       日暮晃一、和島明、神戸輝夫、澤田秀実、松田度、
 【選考協力会員】今岡稔、大平聡、川岡勉、木村英祐、小宮みち江、高瀬克範、
       七原惠史、萩原三雄、松島町子、用松律夫

受賞者の紹介

個人部門
 木村英明氏(きむら ひであき)氏   北海道在住

 木村英明氏は、北海道やシベリアの先史考古学の研究を進めながら、北海道の遠軽町白滝遺跡群(旧石器)、恵庭市カリンバ遺跡(縄文)、開拓使札幌本庁舎跡(近代)といった北海道の歴史を理解するうえで欠くことのできない各時代の重要な遺跡の保存と活用に尽力している。その一つの白滝遺跡では遺跡のみでなく、地質遺産と黒曜石原産地をも保存することを目的とするジオパークの認定に中心的な役割をはたしている。
 木村氏は、白滝遺跡やカリンバ遺跡の発掘を行い、その報告書をもれなく刊行し、遺跡の優れた内容と学術的な価値を明らかにし、さらに保存の処置を講じている。そして、必要な場合は、整備、活用までかかわっており、研究者はどれだけ一つの遺跡に責任をもって関与すべきか、それを後進に行動をもってよく示している研究者である。
 北海道では、国・道指定史跡ですら、遺跡に関わる情報が少なく、研究上で活用することが難しいものも少なくないといわれている。木村氏が関与した上記の遺跡は、現在は国史跡になっており、遺跡が残るとともに、その詳細な発掘調査の情報も利用できるようにしていることは、北海道の考古学にとって計り知れない財産になっている。また、これまで木村氏の研究と遺跡保存への薫陶を受けた多くの学生たちは、現在、北海道の各地で文化財保存に大きく貢献してきている。
 なお、木村氏の文化財保存への活動の原点は、高校生のとき、北海道文化財保護協会の設立運動に参加し、1961年には、知事・教育長らと座談会に参加したことがある。また東京での学生時代に、千葉県加曾利貝塚の保存運動、平城宮跡の保存運動にも関与した経験をもち、それらを踏まえて北海道で遺跡の研究と保存をはかる中心的な役割をはたしてこられたことは、高く評価される。

経歴 1943年生まれ。
   1967年札幌大学に着任、2008年の退職まで同大学教養部・文化学部教授等を歴任。
   学外では、北海道文化財調査委員、札幌市文化財保護審議会委員、
   北海道考古学会委員長などを務めた。
著書 木村英明『シベリアの旧石器文化』北海道大学図書刊行会 1997年
   木村英明『北の黒曜石の道 白滝遺跡群』新泉社 2005年
   上屋眞一・木村英明『国指定史跡 カリンバ遺跡と柏木B遺跡』同成社 2016年

個人部門
 中尾芳治氏(なかお よしはる)氏   京都府在住

 1954年から大阪市法円坂で発掘が開始した難波宮跡は、前期難波宮と聖武朝の後期難波宮の遺構が見つかっている都城遺跡である。この難波宮跡の発掘で見つかった宮殿に関連する遺構は、つねに保存問題がともない、初期の発掘では、山根徳太郎氏・直木孝次郎氏らの努力で遺構の保存の方向が決まることになった宮殿遺跡である。
 中尾芳治氏は、京都大学を卒業後、難波宮跡の発掘にかかわり、1962 年以降、難波宮跡の発掘の中心者として研究を進め、前期難波宮の遺構が7世紀半ばの孝徳朝の難波長柄豊碕宮まで遡るとする研究を前進させ、また遺構の保存と史跡整備も進展させている。
 1990年からは、帝塚山学院大学の大学人として外に転出したが、なお引き続き難波宮跡の発掘の指導、研究、保存、さらに史跡整備に協力し続け、難波宮跡は大都市での古代都城跡として、史跡公園として高く評価されるに至っている。また、「難波宮址を守る会」の創設以来の会員として現在も活動を続けている。
 中尾氏は一方で、難波宮跡での研究と保存の体験を踏まえながら、1991年から、上智大学アンコール・ワット遺跡国際調査団の一員として、カンボジアのアンコール遺跡の発掘と保存・修復にかかわっている。中尾氏が、この遺跡の発掘・保存にかかわったことから、関西からも多くの人たちが、アンコール遺跡を訪れるようになり、この遺跡の保存とカンボジアの復興に寄与している。そして、中尾氏によるアンコール遺跡への永年の貢献に対し、2007年10月、カンボジア王国友好勲章を授与されている。
 このように中尾氏は、長期にわたって難波宮跡の発掘・研究と保存にかかわり、さらに難波宮跡での発掘・保存を踏まえ、カンボジアのアンコール遺跡に対する発掘・保存へ国際的にも寄与しており、高く評価される。また、地元の長岡京市の「恵解山古墳」や大山崎町の「山崎瓦窯跡」の保存整備にも、保存整備委員会の委員長として貢献している。

経歴 1936年生まれ。1960年から難波宮跡の発掘調査員。
   以来1990年まで難波宮跡の発掘調査と研究、保存整備事業に従事する。
   1990年から2004年まで帝塚山学院大学文学部教授。
   大阪市文化財保護審議会委員などを務めた。
著書 中尾芳治『難波京』ニュー・サイエンス社 1986年
   中尾芳治『難波宮の研究』吉川弘文館 1995年
   中尾芳治編『アンコール遺跡の考古学』連合出版 2000年
   中尾芳治編『難波宮と古代都城』同成社 2020年

団体部門
 東毛考古学サークルはにわの会(略称:はにわの会)   群馬県
   代表:小保方紀久  事務局長:石塚久則

 同会は、1964年日本考古学協会の生産技術特別委員会窯業部会の下、群馬県太田市を研究対象地域として明治大学や駒澤大学が長期間活動を続けたことに影響を受け、地元高校生の郷土部の連合体が活動を始めたことが基礎となっている。地域の遺跡を守ることを活動の前提としたアマチュアの考古学勉強会として、1967年に結成・発足した。現在、会員10名で活動している。
 文化財保存全国協議会結成時から、その活動に参加し、文全協の当地の見学会の案内・講師を積極的に引き受けてきた。
 地元、新田氏の居城、金山城の歴史と文化、および自然を保護する「金山の自然と文化財を守る会」のシンポジウムを主催する等、文化財保存運動に取り組んできた。その一環として焼山遺跡の総合調査記録『焼山遺跡総合調査報告』は、地道な分布調査、フィールドワークに基礎をおいてまとめられたものである。
 そのかたわら、54年の長きにわたり会誌『太古』の刊行を始め地道な学習活動を継続してきた。『太古』の最新号は2021年春季号で49号となった。
 活動初期には、「上野国国分寺遺跡を守る会」の遺跡保存運動に全面協力し、参加した。群馬県営ぐんまこどもの国造成地内における群集墳、古代製鉄遺跡などの保存運動では、シンポジウム『環境を守る「ぐんまこどもの国」を考える』を主催した。
 特に、群馬県企業局職員による伊勢崎東流通団地遺跡における三原田遺跡出土遺物大量投棄事件を日本考古学協会にて告発したことは、増え続ける遺物の保管問題を全国的な視点で考える契機となったという点で高く評価される。
 北関東における古墳時代前期土師器の石田川式の標識遺跡保存運動では、「石田川遺跡を考えるシンポジウム」を主催した。また、北関東自動車道太田強戸パーキングエリア建設地内に発見された古墳時代前期方墳の保存運動では、シンポジウム「成塚向山1号墳を保存しよう」を主催し、現地見学会も開催した。さらに、会員が古墳時代前期豪族居館遺跡の新田東部工業団地遺跡(中溝深町遺跡)の保存運動にも関与し、その結果、遺跡は中心部を通る道が付け替えられるなどして保存され、県指定史跡として整備・活用されている。
 古墳時代前期の前方後円墳、朝子塚古墳の上を高圧線が通ることになると、公開講座「今、送電線を考える・朝子塚古墳を横切る」を主催し、その景観保存を求める運動をも展開した。
 最近では、地元の考古系歴史資料館、太田市立藪塚本町歴史民俗資料館の存続を求めて、市当局に要望書を提出するなど精力的に活動中である。
 以上、同会は、①地域における長期の文化財保護運動、②遺物投棄事件の告発という全国的な問題点の提起、③現在にわたる継続的な活動が評価された。

 刊行物 『焼山遺跡総合調査報告』(1968年)
 機関誌 『太古』(最新号、2021年春季号、通号49号)

2021年06月26日

第21回和島誠一賞

 本会では、文化財保存運動の先駆者であった故和島誠一氏の科学的精神とその思想に深く学び、21世紀における文化財の保護、活用および普及活動の飛躍的な発展を期待して、2000年に「和島誠一賞」を制定し、広く全国で文化財の保護、活用、普及などに関連して顕著な活動をおこなった個人・団体を表彰している。
 2020年3月28日に開催した選考委員会で、下記の選考委員と協力委員からの候補者推薦をもとに慎重に審議した結果、個人部門は松島隆裕・町子ご夫妻(栃木県)、団体部門は「寝屋川の歴史と文化を考える会」(東京都)を第21回和島誠一賞の表彰者・団体とすることに決定した。
 【選考委員】小笠原好彦(選考委員長)、橋本博文、十菱駿武、杉田義、勅使河原彰、
       日暮晃一、和島明、神戸輝夫、澤田秀実、松田度、
 【選考協力会員】石塚久則、今岡稔、大平聡、川岡勉、木村英祐、小宮みち江、
       高瀬克範、七原惠史、萩原三雄、用松律夫


受賞者の紹介

個人部門
 松島 隆裕・町子(まつしま たかひろ・まちこ)氏   栃木県在住

 松島隆裕氏は、1989年に栃木県小山市の中世山城跡である鷲城跡の一郭に、マンション建設計画がだされたのに対し、「鷲城跡の保存を考える会」を設立し、中世史家の峰岸純夫氏らとともに鷲城跡、祇園城跡の歴史的意義を明らかにし、保存運動をおこないました。この運動では、町子氏とともに、「小山鷲城跡保存ナショナル・トラスト基金」を設立し、この運動を全国規模に幅広く展開し、1991年に鷲城跡は、祇園城跡とともに国史跡に指定されました。1994年には両城跡の未指定部分と新たに中久喜城跡が国史跡に追加指定されました。
 また、1990年、小山市の東部に小山東部工業団地が建設されることになり、その事前の発掘調査が1990年から94年にかけて実施されました。この発掘では、旧石器時代から近世までの資料が出土しましたが、とりわけ縄文時代後期から晩期にかけて、縄文人の活動による径165mの真っ赤な焼土が互層になった巨大な環状盛土遺構や小支谷の流れを利用した水場遺構が存在することが明らかになりました。
 松島夫妻は、この縄文人の祭祀場である環状盛土遺構と水場遺構に対し、鷲城跡・祇園城跡の保存の成果を得た活動を踏まえ、「寺野東遺跡の保存を考える会」を結成し、再び寺野東遺跡を保存する市民運動を展開しました。この寺野東遺跡の保存運動では、水場遺構の全面的な保存は実現しませんでしたが、環状盛土遺構は国史跡として保存されることになりました。そして、松島夫妻は、これらの取組んだ遺跡の保存運動の記録を地元出版社から刊行しながら、その後も地域に根ざした文化財保護の学習・普及活動を広く進めています。
 保存運動の現場には、いつもご夫妻の姿がありました。和島誠一賞(個人部門)の受賞は、やはりお二人いっしょがふさわしいと考えます。
経歴(松島隆裕氏)
 小山工業高等専門学校教授(現名誉教授)、鷲城・祇園城跡の保存を考える会事務局長、
 寺野東遺跡の保存を考える会事務局長
主な編著書
 『寺野東遺跡-甦れ、縄文のロマン-』寺野東遺跡の保存を考える会編 随想社1994年
 『鷲城・祇園城・中久喜城-小山の中世城郭-』
     鷲城・祇園城跡の保存を考える会編 随想社 1995年
 松島隆裕「鷲城・祇園城跡」『文化財保存70年の歴史-明日への文化遺産-』
     文化財保存全国協議会編 新泉社 2017年        など


団体部門
 寝屋川の歴史と文化を考える会   大阪府
   代表:小貫充  事務局長:高橋慶二

 「寝屋川の歴史と文化を考える会」は、北河内の地域に第二京阪道路の建設と事前調査が行われるもとで、2003年、市民が中心となって活動を始めた団体です。「私たちは、発掘された数々の遺跡を、現地で見学し、学習したいと考えます。また貴重な文化遺産が寝屋川市民の財産として、しかるべく保存され、活用されることを希望いたします」(設立『アピール』より)。このような趣旨で設立され、以来10数年間、活動を継続しています。
 第二京阪道路計画には、北河内に所在する約20カ所の遺跡、寝屋川市内では太秦古墳群、太秦遺跡、高宮遺跡、小路遺跡、讃良郡条里遺跡などの重要な遺跡が含まれていました。会は、各遺跡で行われる現地説明会に積極的に参加し、その成果を『会報』等で伝えてきました。2005年には古代史研究者の吉田晶氏と調査担当者の中尾智行氏による茨田屯倉・河内馬飼をテーマとする講演会を行い、以後も総会時に調査担当者や著名な考古学者を招いて講演会を行っています。また平城宮跡等、関西各地の遺跡を見学する学習活動も展開しています。
 調査と道路建設が進行するもとで、調査成果を研究・展示・収蔵できる博物館建設の提案を行いました。また太秦・高宮のトンネル部分における遺構の復元を行い歴史公園として整備することを地元自治連合会と共に提案しました。
 2010年、第二京阪道路は開通し、小路遺跡の遺構など数カ所が道路下に保存された他は、多くの遺跡が破壊されました。
 その中で、太秦・高宮のトンネル部分で、太秦古墳群の古墳1基、高宮遺跡の建物1棟等は小規模ながら復元整備が行われ、説明板も数カ所で設置され、遺跡が存在したことを市民に伝えることはできました。
 その後、沿線の大規模開発に対する活動や、国史跡高宮廃寺跡の望ましい史跡整備が実施されるよう要望する活動を行ってきました。また、市史跡太秦高塚古墳、国史跡高宮廃寺跡と復元整備された太秦古墳群等を併せた太秦・高宮歴史公園地区について、市民とともに学ぶ活動を行っている文化財保存団体です。

主な著作物
 『太秦・高宮の原始・古代を訪ねる』寝屋川の歴史と文化を考える会編 2015年
 寝屋川の歴史と文化を考える会『会報』第1号~第68号 2003年~2020年

2021年05月02日

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文全協第55回福山大会

大会テーマ「群集墳の保存と活用~芦田川流域の文化遺産を考える~」
2025年
 6月20日(金):総会など
 6月21日(土):見学会
 6月22日(日):大会
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第17回文全協歴史講座

2025年6月7日(土)
 13:30~16:30
奈良市ならまちセンター
 会議室2・3・4

 

 

小笠原先生の
 奈良・古代史講座

会場:奈良県教育会館
日時:5月13日(火)
   6月10日(火)
   7月8日(火)
主催:奈良歴史遺産
   市民ネットワーク

 

遺跡と文化財をめぐる旅
   (予告編)
「世界遺産“佐渡島の金山”と島の自然・文化遺産にふれる3日間」
2025年11月12日(水)
     ~14日(金)

文全協のことが分かる本。
ぜひお読み下さい。

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