第21回和島誠一賞
本会では、文化財保存運動の先駆者であった故和島誠一氏の科学的精神とその思想に深く学び、21世紀における文化財の保護、活用および普及活動の飛躍的な発展を期待して、2000年に「和島誠一賞」を制定し、広く全国で文化財の保護、活用、普及などに関連して顕著な活動をおこなった個人・団体を表彰している。
2020年3月28日に開催した選考委員会で、下記の選考委員と協力委員からの候補者推薦をもとに慎重に審議した結果、個人部門は松島隆裕・町子ご夫妻(栃木県)、団体部門は「寝屋川の歴史と文化を考える会」(東京都)を第21回和島誠一賞の表彰者・団体とすることに決定した。
【選考委員】小笠原好彦(選考委員長)、橋本博文、十菱駿武、杉田義、勅使河原彰、
日暮晃一、和島明、神戸輝夫、澤田秀実、松田度、
【選考協力会員】石塚久則、今岡稔、大平聡、川岡勉、木村英祐、小宮みち江、
高瀬克範、七原惠史、萩原三雄、用松律夫
受賞者の紹介
個人部門
松島 隆裕・町子(まつしま たかひろ・まちこ)氏 栃木県在住
松島隆裕氏は、1989年に栃木県小山市の中世山城跡である鷲城跡の一郭に、マンション建設計画がだされたのに対し、「鷲城跡の保存を考える会」を設立し、中世史家の峰岸純夫氏らとともに鷲城跡、祇園城跡の歴史的意義を明らかにし、保存運動をおこないました。この運動では、町子氏とともに、「小山鷲城跡保存ナショナル・トラスト基金」を設立し、この運動を全国規模に幅広く展開し、1991年に鷲城跡は、祇園城跡とともに国史跡に指定されました。1994年には両城跡の未指定部分と新たに中久喜城跡が国史跡に追加指定されました。
また、1990年、小山市の東部に小山東部工業団地が建設されることになり、その事前の発掘調査が1990年から94年にかけて実施されました。この発掘では、旧石器時代から近世までの資料が出土しましたが、とりわけ縄文時代後期から晩期にかけて、縄文人の活動による径165mの真っ赤な焼土が互層になった巨大な環状盛土遺構や小支谷の流れを利用した水場遺構が存在することが明らかになりました。
松島夫妻は、この縄文人の祭祀場である環状盛土遺構と水場遺構に対し、鷲城跡・祇園城跡の保存の成果を得た活動を踏まえ、「寺野東遺跡の保存を考える会」を結成し、再び寺野東遺跡を保存する市民運動を展開しました。この寺野東遺跡の保存運動では、水場遺構の全面的な保存は実現しませんでしたが、環状盛土遺構は国史跡として保存されることになりました。そして、松島夫妻は、これらの取組んだ遺跡の保存運動の記録を地元出版社から刊行しながら、その後も地域に根ざした文化財保護の学習・普及活動を広く進めています。
保存運動の現場には、いつもご夫妻の姿がありました。和島誠一賞(個人部門)の受賞は、やはりお二人いっしょがふさわしいと考えます。
経歴(松島隆裕氏)
小山工業高等専門学校教授(現名誉教授)、鷲城・祇園城跡の保存を考える会事務局長、
寺野東遺跡の保存を考える会事務局長
主な編著書
『寺野東遺跡-甦れ、縄文のロマン-』寺野東遺跡の保存を考える会編 随想社1994年
『鷲城・祇園城・中久喜城-小山の中世城郭-』
鷲城・祇園城跡の保存を考える会編 随想社 1995年
松島隆裕「鷲城・祇園城跡」『文化財保存70年の歴史-明日への文化遺産-』
文化財保存全国協議会編 新泉社 2017年 など
団体部門
寝屋川の歴史と文化を考える会 大阪府
代表:小貫充 事務局長:高橋慶二
「寝屋川の歴史と文化を考える会」は、北河内の地域に第二京阪道路の建設と事前調査が行われるもとで、2003年、市民が中心となって活動を始めた団体です。「私たちは、発掘された数々の遺跡を、現地で見学し、学習したいと考えます。また貴重な文化遺産が寝屋川市民の財産として、しかるべく保存され、活用されることを希望いたします」(設立『アピール』より)。このような趣旨で設立され、以来10数年間、活動を継続しています。
第二京阪道路計画には、北河内に所在する約20カ所の遺跡、寝屋川市内では太秦古墳群、太秦遺跡、高宮遺跡、小路遺跡、讃良郡条里遺跡などの重要な遺跡が含まれていました。会は、各遺跡で行われる現地説明会に積極的に参加し、その成果を『会報』等で伝えてきました。2005年には古代史研究者の吉田晶氏と調査担当者の中尾智行氏による茨田屯倉・河内馬飼をテーマとする講演会を行い、以後も総会時に調査担当者や著名な考古学者を招いて講演会を行っています。また平城宮跡等、関西各地の遺跡を見学する学習活動も展開しています。
調査と道路建設が進行するもとで、調査成果を研究・展示・収蔵できる博物館建設の提案を行いました。また太秦・高宮のトンネル部分における遺構の復元を行い歴史公園として整備することを地元自治連合会と共に提案しました。
2010年、第二京阪道路は開通し、小路遺跡の遺構など数カ所が道路下に保存された他は、多くの遺跡が破壊されました。
その中で、太秦・高宮のトンネル部分で、太秦古墳群の古墳1基、高宮遺跡の建物1棟等は小規模ながら復元整備が行われ、説明板も数カ所で設置され、遺跡が存在したことを市民に伝えることはできました。
その後、沿線の大規模開発に対する活動や、国史跡高宮廃寺跡の望ましい史跡整備が実施されるよう要望する活動を行ってきました。また、市史跡太秦高塚古墳、国史跡高宮廃寺跡と復元整備された太秦古墳群等を併せた太秦・高宮歴史公園地区について、市民とともに学ぶ活動を行っている文化財保存団体です。
主な著作物
『太秦・高宮の原始・古代を訪ねる』寝屋川の歴史と文化を考える会編 2015年
寝屋川の歴史と文化を考える会『会報』第1号~第68号 2003年~2020年